自己紹介

たびっとインフォ

海外旅行/生活が好きな札幌市出身のMiya (@Tabitinfo) です。

海外旅行好きから始まり、旅行では満足できなくなり海外移住しました。

海外旅行を数カ国、ワーホリビザ3カ国(オーストラリア、ニュージーランド、カナダ)の後、ニュージーランドで就労ビザを取得し観光業に従事。

もっといろいろな場所に住んでみたいと思いブログを始め、デジタルノマドに転身。

移動生活の中、立ち寄ったマルタ共和国でサイト運営の仕事を見つけ、就職。

ウェブサイトマネージャーとして各国のマネージャーと共に働きながら、勉強させてもらう。

その後リモートワークに切り替えマルタを出国し旅行しながら仕事を継続。その後退職。

再びブロガーとしてノマド生活を再開。

現在マルタ在住。そろそろ定住したいので、おそらくこのままマルタに住み続ける予定。

パスポートも持っていない、英語も話せない、何をやっても続かなく、なんの特技もない、特別やりたいことも見つからない…

そんな人生をどうやって抜けだしたのか。(初めてパスポートを取得したのは26歳の時でした…!)

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プロフィール

Miya(みや) 思い込みが強め

生い立ち

幼少期

1984年生まれ。

税理士の祖父と会計士の父を持ち、幼い頃から家族の期待に応えるために将来は税理士にならなくてはいけないと思い込んで育つ。

しかし、幼い頃から海外への憧れがあり、

  • 幼稚園生の頃「将来の夢は外国人になること」
  • 中学生の頃「スイスの高校に入学したい」
  • 18歳の頃「英語を勉強しに外国に留学したい」

と発言するも、その都度父親から「税理士になってからやれ」と反対される。

学生時代

海外渡航はかなわぬ妄想と考えるようになり、諦めることを学び…高校の普通科を卒業後、専門学校で税理士の勉強を始める。

これは私がやりたいことではないと気づきつつも、家族の期待をひしひしと感じ、本当の気持ちを言い出すことができず試験を受け続け3年半。税理士科目の5科目中2科目に合格。

その頃、通っていた専門学校で校長先生のすすめで専門学校の受付に採用され、初めて社会人となる。

日中は仕事で学校、夜と休日は勉強で学校の生活。寝る時間以外学校にいる生活を続け、仕事と勉強を同時進行させるも、数カ月で限界を迎える。

「もう、生きている意味がわからない…仕事も勉強も一生したくない…」

泣きながらもう仕事も勉強もしたくないと両親に訴える。

母は快諾、私の精神的健康を優先してくれた。

父は反対、どうしてがんばれないんだと叱られる。反対されても気力はすでに尽きていた。

人生が全く楽しくなく生きる気力もなく、人生とは我慢と悲しいことが続くつまらいものだと思うようになり、仕事も勉強もやめ自宅に引きこもる。

そして、家族の期待を裏切ったことへの罪悪感と、人生に希望が持てない虚しさでいっぱいの毎日を過ごす。

心が折れ人生をあきらめる

「やりたくなかったことはわかったけど、やりたいことがわからない。誰にも会いたくない、今何してるのとか人生について質問されるのが怖い。」

誰かに会うのは週に1日、数時間が限界…と自宅の掃除や庭仕事をする日々を過ごしていた。

それでも数カ月すると、少しずつ時が癒やしてくれ、短時間のアルバイトならできそうと札幌ご当地グルメのスープカレー屋でランチタイムだけ働き始める。

そこで出会ったお客さんのカップルが毎年仕事で海外に行っているということに感銘を受ける。

しかし、諦める習慣がある私は、

「そんなことができるのは特別な人たちだけ。才能や語学力がある人だけ。」

と思い込み、一歩を踏み出せずに終わる。

2年ほど経ち、私の心はフルタイムで仕事ができるまで回復。

契約社員としてお堅めの古い組織で働き、言葉遣いや態度、お茶くみ、電話応対、女子社員のポジション(!)というものを学ぶ。仕事内容はとても楽しく打ち込むも、古い体制の組織にはなじめず、社会に出るとはこういうものなのか…と思いこむ。

海外旅行スタート

初めての海外旅行

2年弱の契約満了で退職したのが26歳。

少しの貯金と時間ができ、ようやく長年の夢であった海外渡航へ踏み出す。

どこでも良かった。

ふと目に入った画像がフランスのモンサンミッシェル。

「私、モンサンミッシェル見に行きます。」

モンサンミッシェル

知り合いの旅行代理店にツアーを申し込む。

「だって、英語もフランス語も話せないから、添乗員付きツアーで行く以外方法がない」

と思い込んでいた。

「1週間”も”フランスに滞在するんだ」と思っていた。

初めての海外は感動したなぁ〜。ようやく叶った夢。すっごくたくさん写真をとった。

しかし帰国後、その写真を見ながら、あることに気づいてしまった。

「添乗員とドライバー付きだったから、場所の位置も名前も思い出せない…」

そして、楽しかった思い出は自由時間に出会ったフランス人のお宅を拝見させてもらったことや、ベルギー人のバスドライバーと添乗員さんとバーに行ったことだった。

通りすがりの観光客に快くお家を見せてくれたフランス人女性

逆に、ツアーに組み込まれてしまう中華料理店には行きたくなかったし、免税店には一歩も入らなかった。そして1週間の滞在はあまりに短かった。

「私、パッケージツアー向いてないかも…」

やっと行けた海外の魅了されつつも、パッケージツアーでは満足できないことを知る。帰国後、すぐに次の旅行を計画し始める。

海外旅行にハマる

そこで、奇跡の再会。

友達とランチを食べに行った時に、偶然あのスープカレー屋で出会ったカップルとばったり。

「次はいつ海外に行くんですか?私も行ってもいいですか??」

という、無鉄砲なお願いに、快く了承してくれる。

どこの国かも聞かず、とりあえず海外旅行第2弾を決める。

後に行き先はスペインのバルセロナとわかり、とりあえず航空券とバックパッカーズの予約をする。

航空券にはストップオーバーという方法があり、乗り継ぎの国で一時滞在ができることを知り、乗り継ぎ国スイス滞在も決める。

旅行の合計期間は3週間程度。

サグラダファミリア前
バルセロナのサグラダファミリア前で。

これが私の個人旅行の始まり。

特にバルセロナに感動し、ヨーロッパ旅行の際は必ずバルセロナに立ち寄るようになる。

友人ができるも、言葉が通じないもどかしさを感じ、独学で英語とスペイン語を始める。

その後は、帰国してはアルバイト、お金が貯まれば海外へと、いう生活を繰り返しながら、ベルギー韓国香港タイバリトルコイタリアオランダなどに行く。旅行期間も月単位となる。

旅行先でできた友人の国を訪ねたり、パッケージツアーの時にドライバーをしてくれたベルギー人の街にも遊びに行った。

ごく自然な流れで

「旅行ではなく、海外に住んでみたい。」

と思い始める。

しかし、

「海外に住めるのは特別なスキルや語学力がある人だけ」

と、思い込む。

「私には特別なものが何もない…。語学力もなく、ひとつの仕事を長く続けたことがないから自信を持って名乗れる職種もない、学校で学んだ会計は途中でやめたので仕事として経験がない。ないないないない。そんな私に海外生活ができるわけがない。」

海外在住スタート

ワーホリビザ

その頃ワーキングホリデーをいう制度を知る。

「ワーキングホリデー?でもきっとすごくお金がかかるんでしょ?帰国後、仕事が見つからないんでしょ?」

と思い込み、一歩が踏み出せなくなる。

知人からも

「ワーホリなんて経験として認められないから意味がない。時間の無駄。」

と言われ、踏み出すのが怖くなる。

そして気づく。

「旅行と同じでお金がなくなったら帰国すればいい。帰国後、仕事探しが必要なのは今と同じ。」

29歳でワーキングホリデーを決める。行き先はオーストラリア

渡航時2014年にはすでに30歳になっていた。ワーホリは30歳までと聞いていたので、最初で最後のワーホリだと思い込む。

ワーホリに関する詳細は「ワーホリとは」をご覧ください。

最初は辛かったワーホリ生活も、日に日に楽しくなってくる。

「もっと他の国にも住んでみたい」

ギリホリなので最後のワーホリと思い込んでいたが、調べてみると31歳の誕生日前までに応募すればいいと知る。

まだ1年もあるじゃないか!!しかも取得後1年以内に入国すればいい。ということは、2年位ある!!

ということで、日本に帰国する必要がなくネットでビザが取れ、(当時は)ビザの許可が簡単だった、ニュージーランドカナダのワーホリビザも取得。

2015年ニュージーランドに渡航、9か月滞在。2016年カナダに渡航、7か月滞在。

就労ビザ

3カ国目のカナダ滞在中に、ニュージーランド時代のボスからワークビザのオファーをもらい、2016年末にニュージーランドに戻る。

元職場にて
働く私@元職場

尊敬できるボスと上司に囲まれ多くを学び、次第に自分でビジネスをすることへ興味を持ち始める。

しかし、

  • 私にできるはずがない
  • 明確なビジネスプランもない
  • きっと路頭に迷う
  • もっときちんと計画しないと始めてはいけない
  • 今の仕事ほどいい仕事は今後出会えない

と思い込み、始められない理由を並べ続けていた。

そもそも私って何もできない。

料理人じゃないし、通訳できるほど英語も流暢じゃない、写真家になるほど写真もうまくない…。何よりそれに対してプロになりたいと思える情熱がない。

でも特徴はある。

旅行が好き。海外に住むことが好き。人と話すのが好き。

私にとって当たり前になってきているこの生活について、話を聞きたいという人がいる。

そして、ニュージーランドのクイーンズタウンを中心に50以上のアクティビティに参加した経験がある。

できないという思い込みを捨て(るように努力し)、2018年大好きな職場を泣く泣く退職し(本当に泣いたよ)、自分で何ができるかと考え、自分の海外経験の共有や渡航希望者のお手伝いをしようとブログを開設。

ブロガーになる

2018年6月からブログを開始。

最初は誰も読んでくれないブログ。でもやることは山もり。心が折れそうになる時も多い中、みんなに支えられながら時には孤独に耐えながら、楽しいので継続。

ブログを運営していく上で、学ぶべきことがたくさんあり、どうやったら読みやすくなるのだろうか?どうやったら検索されやすくなるのだろうか?みんなが知りたい情報ってなんだろうか?と研究する日々。

100記事ほど書いたころ、あの有名ブロガーのManablog運営者 坂内学さんに会いにタイのバンコクへ。迷走する私にやさしくアドバイスをくれて感動。(めっちゃいい人!!)

Manablogを中心にブログについて学んでいき、ブログ継続。

もっとウェブサイトの運営について知りたい!という興味があり、旅行中に立ち寄ったマルタ共和国(ヨーロッパにあります)でたまたま日本語ウェブサイトマネージャーの仕事の募集を見つける。

ウェブサイトマネージャーってサイト運営の経験豊富な人が就く仕事だと思い込む…。

しかし仕事内容を聞いてみると、今私がブログでやっている内容とほとんど同じことに気づく。

当時ブログ歴10か月程度の私が受かるわけもないと思いつつ、受かればラッキーと応募。

無事に受かり、マルタで就職。

ミーティングの様子

フルタイムの仕事でブログの更新頻度は下がってしまったが、職場でいろんな国のサイトのプロたちに囲まれウェブサイト運営について学ばせてもらう。

会社は福利厚生がすごくよく、お給料も面接で希望した額、楽しい同僚たち、大好きなヨーロッパでの生活。

それでも「もっと自分のブログに時間をかけたい、自分が書いたコンテンツは自分のサイトに載せたいと思い、マルタ以外の国に住んでみたい、」大好きなマルタの職場を11月末で退職し、また旅ブロガーとしてノマド生活を始める。

30代後半になり子供が欲しい私としてはそろそろ動かなくてはと思い、彼と話し合った結果、どこかの国に長く住み落ち着いた生活をすることを新しい目標に設定。

候補としてスペインのラス・パルマスを選択。まずは日本に一時帰国した後の出発を予定したその矢先、コロナが流行り日本に6ヶ月滞在することに。

なんとかラス・パルマスに到着するも、ブレクジットとコロナでビザの取得が一段と難しく断念。

マルタを拠点とすることに変更。

マルタに移住し、現地就職し、2023年に妊娠・結婚・出産。母となりました。


自分の好きなこと嫌いなことを考え、好きなことに進み嫌いなことはしないようになれました。

時には周囲から厳しいことを言われ「ちゃんとしろ!」というようなアドバイスをもらうこともありました。

悩んでわからなくなり迷走もしましたが、自分の好きなように生きられるようになったきっかけは、知り合いやブログなどで見聞きした経験談でした。

私がいろいろなブログを読んで勇気をもらったように、踏み出したい人の一歩を後押ししたい。

そして一緒に私自身も、もう一歩踏み出したい。

そんな気持ちで始めたブログです。

初めての旅行各国の観光情報移住情報などや

どうやって英語を勉強したか海外で仕事を見つけたかビザはどうしているのかなど

を書いています。

読んでいただけたらうれしいです。

2022年からマルタの日本語掲示板「まるじゃぱドットコム」を運営し始めました。

マルタで生活するための情報や、売ります買います、部屋探しなど、日本語でやり取りができる場です。

私発信だけでなく、みんなで発信できるような仕組みとして機能できたら幸いです。見てみてください!

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