北海道胆振東部地震 停電2日間のできごととその後

北海道地震 個人的な事

平成30年度他移動胆振東部地震が起きた2018年9月6日朝に、タイへのフライトを控えていたMiya(@tabitinfo)です。

地震当日の2018年9月6日から2日間、停電中に起こったこととその後について時系列で書きました。

9月6日

地震発生

当日朝3時未明

目を覚ますほどの大きな地震が起きる。

揺れは数分で止まり、電気が消え停電となるが5分もせずに回復し、スマホで震源と大きさを調べる。

震源は北海道で、私がいた札幌市北区では震度5

特別何か落ちてきたり倒れることもなかった。

なので、こんな大ごとになるとは思っていなかった。

その後、また停電となる。

停電や地震があっても、いつも大ごとにならない北海道。

朝起きたら停電も直ってるよと思い、再び眠ることとした。

空港へ向かう

朝5時 起床

朝6時前に家を出てバスで空港に行く予定だったので、5時に目覚まし時計で起きる。

停電が直っていないことにびっくり。

バス

近所のバス停発着の路線バスは運航していないようだったので、母に空港連絡バスが出発するバスターミナルまで自家用車で送ってもらうこととなる。

信号機は数えるほどしかついておらず、とても広い範囲で停電となっていることを感じる。

バスターミナルに到着し、状況を確認しに行く。

貼り紙に『高速道路封鎖のため終日運休』と書かれていた。

JR

次に空港行きのJRを確認することにした。

最寄りのJR駅に行くと貼り紙に『停電のため運休』と書かれていた。

高速道路

フライトキャンセルの確認が取れないため、車で空港へ行くこととした。

高速道路は入口が封鎖されていた。

一般道路

一般道を走ったが、信号がついていないのでメイン道路を走る。

メイン道路の方が交通量が多いので、車の流れができていて通り抜けやすい

交通量が少ない方はタイミングをつかむのが難しく、なかなか交差点を抜けられない。

大きな交差点の信号は別電源があるものがいくつかあり、点いているものもあった。

しかしほとんどの信号はついていなく、危ない交差点には警察が立って手信号をしていた。

家族から母のスマホに連絡が入る。母のスマホは日本のSIMカードが入っているため電波が入れば連絡が取れた。(私たちは一時帰国のため日本のSIMカードを持っていなかった)

自衛官の兄はすでに災害対策に派遣されていた。

韓国にいる姉はいろいろ調べて情報を送ってくれた。

札幌市でも南の方に行くと被害を受けた建物がいくつかあった。

千歳に入ると車屋さんのショールームのガラスがバッキバキに割れていて驚いた。

地震の大きさを感じた。

空港到着

駐車場

混沌の中、新千歳空港に到着。

駐車場のチケットマシーンは動いていてびっくり。

こんなときはこれこそ止まっていてもいいのでは?と(笑)

国際線ターミナル

駐車してターミナルの建物に入ろうとするも、自動ドアが開かない…

警備員の方に「完全に封鎖しているから入れないよ!」と言われる。

「彼(イギリス人)のビザが今日までなんですが、どこか相談できるところはありますか?」

と聞いてみたところ、入国管理局の入口が国際線ターミナル横にあると教えてくれた。

そちらに回り込んだところ、また警備員に止められ、「ビザなんですが…」と説明しながら先に進ませてもらう。

建物入口に到着し、窓口に事情を説明。

入館することを許してもらう。

許可証を首からかけ、階段で入国管理局へ。

この建物の一部は非常用電力で電気がついていた。

入口の呼び鈴を鳴らすと、数人の男性が出てくる。

パスポートと航空券を渡し、事情を説明。

しばらく待つように言われ、待っていると別の人が出てきて、

「今はシステムがダウンしていて何もしてあげられない。ここに来た記録は付けておくから、出国の時に申し出てくれ。何か問題になったらここに連絡するように言ってくれ。対処する。」

と言ってくれた。

よかった…。

不法滞在にならずに済む…

こんな事態の中、とても親切に対応してくれた。

ありがとう!

国内線ターミナル

国内線の様子も見に行くことした。

国内線ターミナル側にはたくさんの人がいてみんな困っていた。

ターミナルは閉鎖され、中には人が入れないようになっていた。

天井が落ちたそうだ。

私たちはエアアジアという会社の航空券を持っていたので、カウンターが開いていれば相談したかったが、明らかに無理な状況だった。

あきらめて札幌へ帰ることとした。

ビザのことが心配いらなくなっただけでも、成果はあった。

2人を保護

どこにも行けない人たちで溢れていたので、札幌に戻りたい人がいるか確認しようと考えた。2人までなら車に乗せることができる。

路頭に迷っている放心状態の女の子2人がいたので声をかける。

「この後どうするんですか?札幌へ行くなら乗って行きますか?」

彼女たちは本州からの旅行客だという。

この場合、千歳に残った方が空港再開後すぐに空港に来られていいのだろうか…?

でも、野宿や避難所に行くよりはわが家の方がいいだろうか?

しかし、札幌千歳間の交通機関がマヒしている中空港が再開したら、飛行機は飛んでいるのに空港に行けないという事態が発生する。

我が家の車には再度千歳まで来る十分なガソリンがないのだ。

誘っておきながらも迷う。彼女たちも迷っていた。

千歳でホテルに泊まろうかと話していたが、この状況下ではおそらく泊まれないと思う。

二人に決めてもらうこととし、結果、我が家に泊まることとなった。

自分たちも大変な状況の中、他の人まで保護するのは難しいかとも考えた。

でも私も海外生活中、本当にいろいろな人たちに助けられながら生活してきたので、自分が助けられる時には助けて行きたいと思い声をかけた。結果彼女たちがとてもいい子だったので逆に助けられた。

我が家といっても両親の家なので、快く受け入れてくれた両親に感謝。

札幌に到着

帰路

停電は直っておらず、スーパーの前に行列ができているのが帰路で見受けられた。

うわさが飛び交っていて、1週間はこの状態が続くと言っている人もいた。

そうなると、確かに食糧不足が深刻になるだろう。

家に到着

早朝から、このどたばたでとても疲れていた。

散歩

しかし、家の周辺で何が起こっているか確認したいという彼に連れられ、2人の女の子たちと一緒に散歩に出かけた。

開いているお店がいくつもあり、お弁当屋さんが開いていたことに感動した。

ほっともっとも開いていたが、町の小さなお弁当屋さんも開いていて驚いた!

お弁当の種類は選べないがそれでも良ければ販売するという方法を取っていた。

みんなの分のお弁当を購入した。

母は近所の商店でお米や野菜を買ってきた。

アイスがタダでもらえたと言って、みんなで3本くらい食べた。

帰宅

我が家は割と明るく過ごしていた。

昼過ぎにはクタクタに疲れていて、長い昼寝をした。

目が覚めてから、シャワーに入ることとした。

電気がないので夜は暗くて入れないし、お湯が出ないので日中の方が水も冷たさに耐えられると思った。

日中でも水は冷たいので、頭は水で洗い、体はガスコンロで沸かしたお湯に水を足して浴びた。

もちろんドライヤーは使えない。

1,2ページのみの夕刊が届く。驚いた。

文字で情報が確認できるのはうれしい。

ラジオでニュースを聞いていたが、きちんと聞き取れているか不安だったのだ。

日が暮れ、夕食に買ってきたお弁当を食べ、しばらくみんなでお話をしていた。

停電しているので街が真っ暗で、星空がいつもよりきれいだった。

しばらく外で星を眺めていた。

その内、我が家から見える範囲の家で電気がついていることに気づく。

電気がすぐそこまで回復していると喜んだ。

することもあまりないので早めに眠ることとした。

昼寝をしたが、よほど疲れていたようで夜も早くに眠りにつくことができた。

9月7日

起床

電気が回復していますようにと願ったものの、やはり停電は続いていた。

朝刊は結構な厚さのものが届いた。

今日から空港の国内線ターミナルがオープンするらしい。

地下鉄や市電も走るらしい。

想像より早めの回復に喜ぶ。

おばが訪ねてきて、庭の野菜を届けてくれた。

おばの家はIHクッキングヒーターのため調理ができない。

今朝鍋で炊いたご飯を渡すと喜んでいた。

他にも我が家に電池のストックがあったのでシェアをしたりして、足りないものを補い合った。

自転車で外出

叔母と祖母の家へ

おばと祖母の顔を見に行く。

おばの家は住宅が多い地域のため、地震当日近所のスーパーにとんでもない長い行列ができたと言っていた。

おばは前日に並んだらしく、その際一人1個と決められたパンを買うために行列ができ、何時間にも及ぶ待ち時間に耐えきれず子供たちが泣き出していたそう。

べこ餅の奇跡

祖母はおばが出かける際に、「べこ餅買ってきて」(べこ餅とは葉っぱの形をした白と黒の餅で、北海道と東北の一部で食べられている。ウィキで調べたい方はこちら)とマイペースなことを言っていたらしく、「そんな状況じゃないの」とたしなめらたらしい。

そしておばは2日目も行列に並び、前に並んでいた人と話していたところ、餅屋で働いている方で職場でべこ餅が配られたらしく、祖母にあげてといただいたらしい。

この事態の中で、偶然べこ餅もらうことってある!?!?

祖母の強運に驚いた。

母の生家

母の両親は他界しているが、その家では知り合いのおばあさんが一人で暮らしている。

そしてIHクッキングヒーターなのだ。料理ができずに困っているに違いないと思い、様子を見に行くこととした。

開いていたコンビニでえびせんを買って行くことにした。

自動ドアが動かないので常に開きっぱなしだった。

母の生家に着いて驚いた。すでに電気が通っていたのだ。

そして、ガスのカセットコンロも持っていたらしく、停電中もご飯も炊いていたそうだ。

家庭菜園が趣味のおばあさんなので、りっぱなトマトを分けてくれた。

助け合う人々

帰路、電気が通っているエリアのお家が充電できますと貼り紙しているのを見かける。

やさしさに感動し彼が写真を撮っていると、お家の人が「充電しますか?」と声をかけてくれた。

私たちは必要なかったのでお礼を言ってお断りしたが、今回の停電で充電用に開放された市役所に長蛇の列ができていたので、個人で貸してくれているところではきっと助かった人もいただろう。

他にも道で「困っていることはありませんか?泊まるところはありますか?」と声をかけられた。

優しい。

彼が外国人なので地元民と思われなかったのだろう。

泊まるところはあることを説明し、お礼を言った。

信号がついているところが随分と増えた。

でも隣の家は電気が通ったのにうちは通っていないというところも多く、細かく区分けされているようだった。

家に帰りランチを食べて、女の子二人組を連れお散歩に出た。

日中に体を動かして、夜はゆっくり眠った方がいい。

銀行の謎

お散歩中、銀行前に座らされている二人の女性を見かけた。

なぜ、この緊急事態にここに座る必要があるのかはわからなかった。

他の銀行にも同じような人がいたので、きっと何か緊急事態マニュアル上そうなっているのだろうか。

かわいそうだと感じた。

遠くから写真を撮っていると、ぺこりとお辞儀をしてくれた。

自宅で遊ぶ

家に帰り、ボードゲームのモノポリーをした。

さっきも言ったが、我が家は割と明るく過ごしていた。

ずっと笑いが絶えなかった。

スーパーの行列にも並ばず、今はまだ食料があるから心配しすぎないようにしていたのと、2人のかわいらしいお客さんがいて雰囲気は明るかった。

この頃には、JRも新幹線や快速エアポート(札幌駅発 新千歳行き)が再開しているニュースが流れていた。

飛行機も国内線のみ運行開始した。

連絡が取れない

気になっていたのは昨日到着予定だったAirbnb(民泊)への連絡だった。

民泊は個人宅なのでホストと呼ばれる家主が到着を待っている。

行けなくなったことを早く連絡したかった。

母の携帯はauで、地震当日の朝は使えたものの、昼頃からはずっと圏外となっていた。

2人の女の子のうち一人がdocomoの携帯を使っていて、かろうじて電波が入った。

デザリング(インターネット共有)してもらい、手短にホストへメッセージを送った。

夕飯を食べた後、彼が、電気が回復したエリアでフリーWi-Fiを発見したと連れて行ってくれた。

そこで一通りのメッセージへの返信や、フライトの変更条件、Airbnbホストからの返信が確認できた。

フリーWi-Fiではログインをするとセキュリティ上よくないのでログインすることをためらい、フライトの変更自体は電気が回復してから自宅でしようということになった。

その他のすでにログインされていたものでのメッセージなどは返信し、みんなに無事を伝えるために取り急ぎFacebookに投稿した。

あまりに箇条書きすぎて詩や俳句みたいだったらしい(笑)

航空会社のエアアジアの対応

①他の国へ行く便に変更(14日以内)

②行き先は同じで日時の変更(14日以内)

③次回使えるクレジットに変更(90日以内)

④全額返金

という4択から受け付けるという対応をしている。

当初スケジュール

9月6日千歳バンコク
 バンコクフアヒン
9月11日フアヒンバンコク
 バンコクチェンマイ
9月15日チェンマイバンコク
9月17日バンコクスウェーデン
9月20日スウェーデンマルタ

私と彼で話し合い、

10日までにバンコクに行ければチェンマイから予定通りに過ごす。

16日までにバンコクに行ければ、スウェーデン行きの飛行機に乗ってそれ以降予定通りに過ごす。

17日のスウェーデン行きの飛行機に間に合わなかった場合、ヨーロッパには行かない。

としていた。

10日の便に振り替えたいという旨を、エアアジアのツイッターメッセージで送った。

送信内容

①もともと持っていた航空券の情報と私たちの名前

②今回発生したこと

③変更希望の航空券の日付時間便名(日付の変更なので時間と便名は同じ)

ANAの対応

帰宅後、2人の女の子たちの航空券についても聞いてみた。

「ANAに電話しているが通じない。電話対応時間は午後5時までだから今日はもう終了している。」

という二人に、彼が

「電話しかないはずがない。24時間対応のチャットとかあるはずだ。調べるから、もう一回テザリングでインターネットを共有してくれ。」

と言い、調べたところチャットはない様子…

でも、外国人用ページに記載されている電話番号は朝6時30分から夜10時まで対応と書かれていた。

電話をかけると日本人が英語で電話に出た。

電話がつながった!

「すみません…」

というと、日本語で話し始めてくれた。

事情を説明し、電話口で変更手続きが完了!

座席指定までできた。

変更後のフライトは翌日の夜。席数はまだ余裕があるらしく時間を選ぶこともできた。

空港までの交通手段に自信がなかったので夕方6時過ぎの便を予約。

空港までは再開されたJR快速エアポートで行けるが、通常通りではないことと、快速エアポートの出発駅である札幌駅までどうやって行くかという課題があった。

バスは信号が回復するまで営業しないと公表されていた。

信号が回復する、つまり電気が回復しないとバスが稼働しない。

ただ、地下鉄が走っていた。

地下鉄は札幌駅まで走っている。

最寄りの地下鉄駅まで、我が家から車で15分ほど。

我が家の車にはガソリンがないので、ヒッチハイクをすすめた。

この状況なので、

「空港に行くから札幌駅から快速エアポートに乗りたい。最寄りの地下鉄駅まで乗せてもらえないか。」

と聞けば、きっと止まってくれるはず。

もしその車が札幌駅まで行くようなら、そこまで乗せてもらえるかもしれない。

私はヒッチハイク経験があるので難しいことではないと思った。

電気が回復

そうこうしているうちに、電気が回復。

電気がついた瞬間、みんな歓喜の叫び!!

「わぁーーーー!!!!」

WiFi待ちになっていた問題を解決するべく、作業開始。

航空券

エアアジアのフライトはチャットで変更できた。

チャットも混んでいて100人待ちになっていたが、電話と違いお金がかからず待ち時間も他の作業ができるのでお勧め。

30分くらいで自分たちの番が回ってきた。

私たちは一か所目の目的地をとばし、9月11日チェンマイ行きの飛行機に乗れるようにリスケジュールすることとした。

なので前日の10日の便に変更したいと連絡した。

チャットはスムーズで、ほどなくして予約確定のメールが届いた。

飛行機の一件は解決。

Airbnb

ホストからは日中に送ったメッセージを受けて、キャンセルをしたと連絡が来ていた。

私たちの状況をとても心配してくれていた。

Airbnb管理側へも連絡し、事情を説明。

Airbnbでは天災を理由にキャンセルとなった場合、全額返金してくれることとなっている。

全額返金する旨のメッセージが届いた。

Airbnbの一件も解決。

今回の地震でスケジュールこそ少し変更となったが、旅行の金額的な損失というのは発生せずに済んだ。

電気が回復したこと、航空券が取れたことで心が晴れやかになった。

ネットが使えるようになったことで、いろいろな地域の状況も把握できるようになった。

札幌市内では多くの場所で電気が通ったようだが、宮の森の方ではまだ通ってないと言っていた。

2人の女の子たちも家族と電話ができ、航空券が取れたことを報告しお母さんたちが安心したようだった。

電気は回復したものの、一気にみんな使ってダメージを与えると困るので、節電をする必要がある。

早く全面復旧して、みんなの生活が元に戻ってほしい。

9月8日

朝から電気のありがたみを感じながら、テレビで情報収集。

バス

バスも一部運行再開したようだった。

この一部というのはどこのことなのか把握するのが難しく、我が家の最寄りのバス停から乗れるのかはわからなかった。

ヒッチハイクしようと外へ出てみると、目の前をバスが通過した。

バスが走ってる!!

ということで、ヒッチハイクではなくバスに乗ることとした。

札幌駅周辺まで行くバスがあるので説明し、無事に乗って行った。

国内線ターミナル

快速エアポートに無事に乗れ、空港についたと連絡をくれた。

空港はとても混んでいたらしい。

空港から送ってくれた写真。

しかし、無事に飛行機乗れ、家に着いたと連絡をもらった。

本当に良かった。

そして、国際線も再開のニュースが流れる。

いい流れで復旧している。

ガソリンが買えない

今も困っていることと言えば、ガソリンが買えないことだ。

ガソリンスタンドがオープンしても長蛇の列ができていて、私たちは至急必要ではないので列に並んではいない。

数日すれば落ち着くと考えているが、普段から車生活が主流の北海道では不安が残る。

フェイクニュース

そんな中、Facebook上で深夜に大きな地震が来るという情報が流れる。

「自衛官の友達が地鳴りを聞いた。深夜に大きな地震が来る。」

怖くて念のため荷造りをして、怯えながら眠った。

時々目を覚ましながら、時間を確認した。

結果、大きな地震は来なかった。

来なくてよかった。

良かれと思っている情報でも、こういう誰かが言ってたという情報が不安をあおる。

今は情報収集とともに情報の選択も大事になっている。


不幸中の幸いで、大きな被害がなく済んだ私たち。

被害にあわれた方をお見舞い申し上げます。

今回は時系列で書きましたが、項目別に書いた記事もあるのでよかったらお読みください。

北海道胆振東部地震 どんな状況?停電で困ったこと

北海道胆振東部地震 出国までのできごととその後

今回我が家に滞在した二人の女の子たちはとても律儀で、後日ご家族からお礼を送っていただきました。

私はその時点で出国していたのですが、母が受け取りよろこんでいました。

しかもマルタ在住時に遊びに来てくれました!

不思議なご縁です。

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