平成30年度他移動胆振東部地震が起きた2018年9月6日朝に、タイへのフライトを控えていたMiya(@tabitinfo)です。
9月10日に無事出国し、タイへ移動できたので出国までのことを記事にします。
9月6日発生日から9月8日までのことはこちらの記事に記載しています。
9月9日
朝起きると2人の女の子たちから無事帰宅した報告が届いていた。
ほっとし、後は自分たちの出国の準備を進めるだけとなった。
前記事で記載した通り、航空券の変更や宿泊先のキャンセルは手続き済みな上、一度出国しようとしていたので荷造りも済んでいる。
ということで、ブログを書いて過ごした。
そして女の子の一人がインスタに今回の体験が書いていた。
私たちへの感謝が記載されていて、うれしかった。
今回の北海道旅行は、普段の旅行とちがっていろいろな思い出ができました😌🌸
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地震が起きて、飛行機も全便欠航になり、空港内も危険だからと外に出ることになりました。
旅行に来た初めての土地で、どこに行ったら何があるのか?全くわからなくて途方にくれていると、お姉さんとお姉さんの恋人が声をかけてくれました。
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「私の実家が札幌にあり、帰るので札幌まで送りましょうか?それかどこかまで送りましょうか?」
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声をかけられて有り難かったものの、周辺のことがわからず悩んでいました。
お姉さんたちと少し会話をし、私達が埼玉の出身で台風と地震で二回も飛行機に乗れていないと伝えると、
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「台風と地震で大変だったね、実家だから泊まって行ったらどう?けど空港からは遠くなっちゃうし、なんとも言えないから悩んでて大丈夫だよ。」
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と、とっても優しいことを言ってもらい、悩んだ末に、お家に泊まらせていただくことになりました。
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二泊させてもらっている間、1日半ぐらいは停電していて、夜はロウソクを立ててみんなでご飯を食べながら、お話をしたりしました。
お姉さんのこと、お姉さんの恋人のこと、家族のこと、私達のこと、色んな話をしました。
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私達が不安なんじゃないかと、二日間、笑顔が多く過ごせるようにたくさんのことをしてもらいました。
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お姉さん、お姉さんの恋人とお散歩に行って街を見に行ったり、退屈でしょう?って本を貸してもらったり、初めて覚えたモノポリーをしたり、とっても美味しいご飯を用意してもらったり、停電でお湯が出ないからお湯を沸かしてお風呂に入らせてもらったり、お散歩行くときに「気をつけて行ってらっしゃい」って笑顔で送ってもらったり、埼玉に帰れるようになったことを伝えると「またおいでね、遊びに来てね」って送り出してもらったり…
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感謝を言い切れないほど、二泊の間にたくさんたくさん優しくしてもらいました。
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お姉さん、お姉さんの恋人、お父さん、お母さん、親戚の方も地震の被害にあっている中、何も手伝えない私達を引き取って飛行機の面倒まで見てくれたことに心から感謝します。
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北海道にいても、埼玉にいても力になれることはごく少なく小さな事ですが、少しでも力になれればと思います。
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お姉さん、お姉さんの恋人が明日の便に乗れて無事に目的地に着きますように。
みなさん家族が幸せな毎日を送れますように。
北海道の被害が少しでも少なく、早くみんなが元の生活に戻れますように。
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心配して連絡くれた方もありがとうございました。
本当に本当に人に助けられた1週間でした、ありがとうございました。
いい子だ…
何もしてあげられなかったけど、少しでも役に立ててよかったと思った。
出発は明日。
ビザのことだけが気がかりだったので、翌朝は早めに空港へ行ことにした。
前記事で記載したが、ビザについては地震当日に入国管理局で「問題ない。こちらで連絡しておく。」と言ってもらっていたので出国できないことはないと思っていた。
9月10日
荷物の最終チェックを済ませ、空港連絡バスの出発地であるバス停に向かう。
バスは順調に進み、通常通り1時間弱で空港に到着。
空港はさほど混んでいなかったが、お店は閉店していた。
今回利用するエアアジアのカウンターには誰も並んでおらず、チェックインもスムーズだった。
保安検査場も問題なく通過。
問題はこの後だ…
パスポートコントロール。出国のスタンプを押してくれるところ。
若い担当者の列に並んでいた。
きっと何か言われるだろうと、彼を先に並ばせた。
パスポートコントロールは通り抜けると戻れないので、私が後ろにいた方が助けられるためだ。
若い担当者「(パスポートを見る)!!!少々お待ちください」
年配の担当者のところへ駆け寄り事情を説明しているようだった。
年配の担当者がやってくる。
「話は聞いています。書類に記入いただく必要がありますのでこちらへお越しください。ただ上司がいないと書類が通らないんです。上司が不在なんですよね。一度市内の移民局に出向いていただいていればよかったんですが…」
!?
地震発生は金曜日。停電でシステムダウンしているといわれた。電話もつながらなかった。
私たちのフライトは10日(月)の朝。
週末な上、停電の中移民局に行く必要があった!?!?どうやって??
不安がよぎる…
そこに上司登場。良かったーと思ったのもつかの間、
上司「ビザの延長申請をする必要があるので、申請用紙に記入の上、収入印紙で4,000円支払わなくてはならない。」
いや、収入印紙買いに行ける状況じゃないよね?そしてとても威圧的な態度。
年配の担当者にも先に支払いのこと言え!と怒鳴っていて嫌なムードに…
年配の担当者「今回は状況が状況だけに郵便局も開いていませんし、特別現金でもいいですよ。」
と穏やかに説明してくれる。
しかし、私たちは今まさに出国しようとしていて、現金など持っていないことを伝えると、
年配の担当者「保安検査場を戻ってATMでおろしてきてください。」
この状況はすべて日本語でやりとりされていたので、彼に英語で説明すると彼から不満を言われる。
彼「好きで滞在が伸びたんじゃない。天災なのに支払いを求めるのか?入国管理局に行ったときはそんなこと言われなかった。当日空港に行けばいいようにしておくと言ってた。」
いやいや、私に文句言われても困るでしょ。
ということで、上司の人に直接聞いてという。
彼「Can you speak English?」
上司「そ、そーりー…」
パスポートコントロールって…英語話せなくても出世できるんだね…
という驚きを隠しながら、彼の不満をやんわりと通訳した。
上司「支払うのが当たり前だろ!支払わないなら出国は認められない!!いかなる理由であっても支払わなくてはいけないんだ!!!」
と急に激高。
きっとこの地震で上司も疲れていたんだろう。
それか英語を話せないことで辱められたとでも思ったのだろうか。
でも、そんな怒らなくても…
選択肢はないので保安検査場を逆流させてもらい、ATMで4,000円をおろしてきた。
申請書に記入を済ませ渡すと、保安検査場とパスポートコントロールの間の隙間で30分ほど待った。
それでも早く申請が通った方らしい。
審査が通ったということで、彼のパスポートに15日分のビザが貼られていた。
「15日の延長にはなっていますが今日中に出国してください」と言われた。
今回、彼は日本に4月から2か月間滞在し、1週間弱姉がいる韓国へ行き、日本に戻り6月から3か月間滞在していた。
年配の担当者「私たちはこういうのをとんぼ返りと呼んでいます。今回、滞在が長かったので次回からはできれば適したビザをお取りください。」
私「適したビザとは何ですか?」
年配の担当者「私どももいろいろビザを用意してますから。」
私「どんなものがありますか?」
年配の担当者「ご結婚なさってビザを取るとか…」
お付き合いだけではパートナービザはもらえない日本の制度。
いろいろというか、結婚以外特に選択肢ないのでは…?
思うところはあったけれど、飛行機の時間も差し迫っていたので取り急ぎここを去りたかった。
年配の担当者は終始丁寧に対応してくれていたので、お礼を伝えその場を去る。
出発ロビーのお土産屋さんはガラスの扉だったので中が見えた。
お土産が床に散乱していて、揺れが大きかったことがうかがえた。
搭乗時間に何とか間に合い無事に飛行機に乗ることができ、ようやく出国できた。
数日後
保護した2人の女の子たちからお礼が届いたと、母から連絡があった。
住所を教えてないのでとても驚いた。
なんて礼儀正しい子たちなんだ…
こちらこそ二人のおかげで明るく過ごすことができて感謝しているのに、丁寧にお礼までしてくれた。
いい子たちといい親御さんたち。
どうもありがとう
今回の地震を通じていい子たちに出会い、みんなと助け合い、ステキな感情が持てた。
被害が大きかった厚真町では、子供たちがストレスを溜めないよう安全に思いっきり遊べる場を作るために活動しているけん玉名人の友人がいる。
彼の活動をSNS見るたび、尊敬の念を抱かずにはいられない。
その活動が実り公式に遊びの場として認められ、送迎の手配などもされたようで、本当に素晴らしい。
天災はあってほしくないが、あった時にはどういう風に過ごすか。
ルールに従うことを重んじる日本人の国民性。
おかげで、そこら中で盗みが発生したり暴動が発生しない。
反面、柔軟な対応が難しい。
いろいろと考えさせられた出来事でした。
後日談
この女の子たちは私たちを訪ねてマルタ共和国に来てくれました。
はるばる日本から来てくれてありがとう🥰
— Miya🇪🇸@旅ブロガーTabit Info (@TabitInfo) November 4, 2019
あっという間だったけど、楽しかったでーす🇲🇹
また来年👋
地震>閉鎖中の空港で出会う>実家に避難>無事帰宅>お礼送ってくれる>マルタに遊びに来る
というご縁😳 pic.twitter.com/8VdktmKCH5
まさか地震がきっかけでこんなことになるとは思っていなかったのでうれしかったです。
地震の出来事を時系列で書いた記事